自分に目をやる

基本

前回の「根っこに目をやる」ということは
すなわち「自分に目をやる」ということにつながります。

わたしはそれがとても大切な部分だと考えています。

わたしも含め多くの人は、本当は根っこになる部分には目を向けたくないのです。
根っこに目をやると、
理想からは程遠い自分や、振り返りたくない過去の苦い経験、認めたくない現実、
などを直視しないといけないことが多いからです。
だから、そういう部分を見なくていいように
先延ばししたり、別のことをして気を紛らしたり、
表面に出ている症状に忙しく対処してみたりするのです。

でも、“理想の自分”は誰が作り出しているのでしょうか。
そしてその理想の自分は本当に自分がなりたい人物
それとも、世の中がいいとしているからひとまずそうなりたいと思っているだけ?

“振り返りたくない過去”は、本当にいまだに自分にとって嫌なことなのでしょうか。
昔はすごく怖かったことや苦手だったことが、
時間が経って再挑戦してみると案外楽勝だったりすることがあるように、
振り返ってはじめて「もうあの記憶はわたしには関係ない」と許せたり、昇華できたりするものです。

“認めたくない現実”はなぜ起こっているのでしょうか。
それは自分で本当にどうにかできることなのか。
できることならできる範囲で、行動して改善していくのがいいけれど、
どうにもならないことなら、関わらない、諦める、という行動を取ることがいいこともあります。

そういうことに気づくためは、自分に目をやる、やさしい気持ちで自分をケアすることが必要でしょう。

深く、重く考えることはありません。
根っこに目をやるような気持ちで、やさしい気持ちで自分の内側に目をむけてみる、
それだけでも何か気づきがあると思います。

最後に、どこかの本か記事で見た大好きな仏教の言葉を

私たちの誰しもが必ず根本には人格の完全性を持っている。
すなわち、無いのではなく覆われているだけです。
その覆いはまたこれ私たちの心中にある迷妄のこころでありますから、
それを取り払いさえすればいい。
その迷妄のこころさえも、
私たちのもつ完全性の一部であるのだから、
実は取り払うことも要らないのです。

昔のメモから、出典元不明
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